1998年7月、和歌山市園部の夏祭りでカレーを食べた67人がヒ素中毒に陥り、うち4人が亡くなった「和歌山カレー事件」から26年。その「真相」に迫ったドキュメンタリー映画が8月3日から全国で公開される。 この事件では、地元の主婦だった林眞須美死刑囚(62)がカレーの鍋にヒ素を入れたとして殺人などの容疑で逮捕され、2009年に裁判で死刑が確定した。発生当初、報道陣が林死刑囚宅を取り囲んで繰り広げたメディアスクラム(集団的過熱報道)や、その報道陣に林死刑囚がホースで水をかけて反撃した攻防は今も語り草だ。この間、林死刑囚は一貫して事件への関与を否定し、再審を求め続けており、現在は冤罪を疑う声も少なくない。 このほど公開される映画『マミー』は、テレビでドキュメンタリー番組の制作を手がけてきた二村真弘監督(45)が様々な関係者と関係現場を取材し、林死刑囚の裁判での有罪認定の根拠を1つ1つ再検証した作品。林死刑囚が収容先の大阪拘置所から家族にあてた手紙などから、「平成の毒婦」と呼ばれた林死刑囚の実像にも光を当てている。 そんな同作にメインキャストのような位置づけで出演しているのが林死刑囚の夫の健治さん(79)と長男の浩次さん(仮名、37)だ。公開に先立ち、健治さん宅で2人に映画について語ってもらいつつ、家族や弁護人としか面会ができない状況が続く林死刑囚の現在の様子も聞いた。(ルポライター・片岡健) ●本来願っていたものを作ってもらえた(浩次さん) ――映画はどのような経緯で実現したのでしょうか。 【浩次】監督の二村さんとは5年ほど前、ツイッターのDMで「和歌山カレー事件のことを聞かせてほしい」と連絡をもらって知り合いました。やりとりするうち、二村さんから「事件が自分の中で思っていたのと全然違うので、映像でフラットに振り返りたい」と言われ、僕や父がインタビューを受け、最初は二村さんがYouTubeで開設した『digTV』というチャンネルで映像が公開されました。 このチャンネルの再生数が次第に増え、認知度も高まってきたところで、二村さんから映画にしたいという提案がありました。僕らは映画業界のことはわからないので、「お任せします」といった感じでした。 【健治】浩次が連れてきた二村さんと初めて会ったのは3、4年くらい前でした。それから僕らが支援者の集会など何かイベントに呼ばれた時には、二村さんもいつも参加してビデオカメラで熱心に撮影していました。そういう経緯で映画を撮るという話を聞かされたので、僕も覚えていることは全部しゃべらせてもらうことにしたわけです。 ――家族はやはり眞須美さんの無実の主張を信じているのでしょうか。 【健治】僕は眞須美がカレーにヒ素を入れるのを見ていないですからね。推測だけで自分の嫁さんを犯人だと言うことはできません。事件があった日の夜、僕は眞須美や浩次らと一緒にカラオケに行っていますが、眞須美がカラオケに行く前、夏祭りのカレーの中にヒ素を放り込んでいたような雰囲気は全然ありませんでした。 【浩次】裁判の判決を見ても、母がやったという確たる証明はされていないのに、結論は「犯人は林眞須美以外にいない」という内容になっているので、受け入れられない状況が続いています。再審をして、もう一度調べ直して欲しいと強く思っています。 ――ただ、試写を観たら、おふたりや弁護人、支援者など眞須美さん側の人たちが登場する一方、被害者の家族や捜査官、検察側証人になった人、眞須美さんが疑われるきっかけになる記事を書いた新聞記者なども登場し、思ったほど冤罪の疑いを全面に押し出したような作品になっていないように感じました。 【浩次】二村さんは最初からフラットに事件を振り返りたいと言っていましたが、僕らとしても内容に偏りがあると、プロパガンダの映画のように思われ、敬遠されそうなので、フラットな内容にして欲しいと思っていました。母を犯人だと思う側と思わない側、両サイドの意見をみてもらい、判断してもらうような映画になっていると思います。 これまで受けた様々な取材では、加害者家族として同情的に報道されることが多かったのですが、この映画は目撃証言や科学鑑定など事件そのものを検証してくれていて、僕らが本来願っていたものを作ってもらえました。 ●本音で話したので「悪いやっちゃな」と思われても仕方ない(健治さん) ――事件発生当時、眞須美さんが健治さんと一緒に保険金詐欺を繰り返していた疑惑を報道され、それをきっかけに眞須美さんがカレー事件の犯人だと示唆するような報道合戦が巻き起こりました。映画でもそのような経緯に触れられていますが、おふたりが当時の報道を批判する場面が無いのも意外でした。 【健治】今はメディアに恨みは全然無いですからね。自分があの人たちの立場でも、ああいうことをするかなと思いますし。それに僕らも保険金詐欺という悪いことをしているわけです。仕方なかったという思いもあります。 【浩次】僕らとしては、平穏な暮らしを取り戻したいというのが最優先で、マスコミの当時の問題を追及したい思いは今のところ無いんです。今は取材に来るのも20代の若い記者さんばかりで、「当時はすみませんでした」と言われたりして、メディアもアップデートされているように思います。 あのようなメディアスクラムは、カレー事件以後はあまり無いので、若い人たちには、「新聞やテレビは昔、こういうことをやっていたんだ」ということで観てほしいと思います。 ――眞須美さんは裁判で、保険金詐欺を一緒にやっていた健治さんや居候の男性にも保険金目当てにヒ素を飲ませていたと認定されています。健治さんはこれに対し、法廷の内外で「ヒ素は保険金を騙し取るために自分で飲んでいた」「居候の男性もそうだった」と訴えてきましたが、この映画でも保険金詐欺の手口を詳細に語っていますね。 【浩次】その話は僕もYouTubeなどでしていますが、そのたびに「被害者を誹謗中傷している」といったコメントがつきます。母にヒ素を飲まされた被害者とされる居候の男性をはじめ、林家に当時出入りして父と付き合っていた男性たちは見るからにガラの悪い人たちだったのですが、知らない人には清廉潔白な被害者だったと思えるようですね。 この映画でも父がしている保険金詐欺の話がどう受け止められるかは心配ではあります。 【健治】世間がどう評価するかはわかりませんが、僕は嘘は言っていません。観た人に「林健治は悪いやっちゃな」と思われても、本音で話していますから仕方ないですね。 ●母は「安藤優子さんに観てもらいたい」と言っている(浩次さん) ――健治さんは2009年に発症した脳内出血の後遺症で左半身が麻痺し、車椅子の生活ですが、映画では浩次さんや支援者に車椅子を押してもらい、色んな場所を訪ねていますね。大変だったのではないでしょうか。 【健治】車を乗り降りする際には、二村さんやスタッフの人に車椅子に乗ったままかついでもらいましたが、やはり大変でしたね。眞須美の実家がある矢櫃(やびつ)という場所を訪ねた時は坂道が怖かったです。 【浩次】試写を観たら、僕が父と一緒に裁判の重要証人になった人の家を訪ねた際、父がインターフォンを押す前に一瞬戸惑い、躊躇していたのが印象的でした。作り物の劇映画では絶対出ないようなシーンだと思いました。 ――眞須美さんは映画について何か言っていますか。 【浩次】 喜んでいます。面会した際に映画のことを伝えたら、「映画だって!」と隣にいる刑務官の肩をたたいていました。『マミー』という題名にも「そんな優しいイメージで世に出してもらえるのは初めて」と喜んでいました。映画のチラシを見せたら、載っている花の写真にも「綺麗やな」と嬉しそうでした。そういう女性らしいところもあるんです。 【健治】出会った頃は僕が30代半ば、眞須美は看護学校の学生でしたが、眞須美は元々、まじめでおとなしかったんです。結婚してからは行事ごとに熱心でした。お雛さんやクリスマスは必ず何かやっていましたし、子どもの運動会があるとなると、前の日の夜からご飯を作っていました。僕が家庭を顧みなかったぶん、そういうことは眞須美がよくやっていました。 【浩次】母は映画について、ジャーナリストの安藤優子さんに見て欲しいと言っていました。安藤さんは事件が起きた当時、うちに来て、母にインタビューしているんです。「あの時、女同士でしゃべった安藤さんが今でも私のことをヒ素で何人も殺した犯人だと思っているのかを聞いてみたい」とのことです。 あと、田原総一朗さんや鳥越俊太郎さんにも映画を観てもらいたいと言っていました。母は有名人が好きなんです。 ――「マミー」という題名の由来は、事件当時は4人いたお子さんたちが眞須美さんのことをそう呼んでいたということでしょうか。 【浩次】僕は今も母のことをマミーと呼んでいます。普通、年齢が上がると、「おかん」や「お母さん」に呼び方が変わるようですが、僕は子どもの頃に母が逮捕され、ずっと離れて暮らしていたので、呼び方を変えるきっかけがなかったんです。 僕が手紙で「マミーへ」と書いていたら、それを見た二村さんに「その年齢でその呼び方は珍しいですね」と言われ、そういういえばそうだな、と気づきました。そしてそれが映画のタイトルになりました。母は今、「真実と書いて、マミーや」と言っています。 〈二村監督の補足説明〉 私の視点からもう少し詳しく説明すると、浩次さんは私のインタビューなどに答えている時は「母」「お母さん」と呼んでいましたが、健治さんと二人で会話しているときにはどちらも「マミー」と呼んでいました。それが二人の間の秘かな楽しみのようでもあり、林眞須美さんの実像にも近いと感じたので、一般的なイメージとは違う姿を提示したいという思いを込めてこのタイトルにしました。 ●僕と眞須美は夫婦というより友達みたいな関係だった(健治さん) ――作中では、眞須美さんから家族に届いた手紙が紹介される場面が何度かあります。手紙の内容は、事件発生当初の報道でみた眞須美さんの気の強そうな印象とは異なります。 【浩次】母は大きなことを言う一方で、気が小さいところがありました。事件が起きた頃、母が路上駐車している車によくクラクションを鳴らしていたように報道されましたが、実際の母は他の車にクラクションを鳴らされ、小さくなっていたこともありました。父に怒られ、涙を浮かべていたりもしました。 【健治】僕が亭主関白だったので、眞須美は僕の前ではいつもカチコチになっていましたね。 【浩次】父は麻雀や競輪が好きなギャンブラーでした。母はそういう父にへきへきしながらも、父についていっている感じでした。 ――世間的には健治さんが眞須美さんの尻に敷かれていたようなイメージだと思います。その話は意外に感じる人が多そうです。 【健治】僕と眞須美は夫婦というより友達みたいな関係でした。事件が起きた頃はどちらも仕事をしていなくて、子どもたちが学校に行っている間はすることがないので、どこに行くにも一緒でした。僕は足が悪いので、喫茶店も眞須美の運転する車で行ったりしてね。仲のいい夫婦に見えていたと思います。 【浩次】父が保険金詐欺をするために入院していた時も、母はつきっきりで父を「看病」していました。全身が動かなくなったように装っていた父が「これでお金が入るんや」と言いながら、僕と母が帰る時に窓から手を振って見送ってくれたのを今も覚えています。 ――最後に、映画公開への思いを聞かせてください。 【健治】映画に関しては、監督の二村さんも一生懸命やっていますし、僕もありのままを本音で話しています。この映画がどんな評価をうけようが、歴史に残るのだから、どこででも堂々と公開して欲しいと思います。 【浩次】映画が公開されたからといって、母の再審請求が良い方向に進むとは思っていません。しかし、事件から26年目の時点では、林家がこういう思いで動いていたということを今後、振り返れるような作品として1つの形になったように思います。 ●『マミー』公開情報 8月3日(土)より、シアター・イメージフォーラム(東京)、第七藝術劇場(大阪)、横浜 シネマ・ジャック&ベティなど全国で順次公開(配給:東風)