二世帯住宅での生活はうまくいくのか。39歳で教員の夫と、6歳と1歳の息子がいる36歳で専業主婦の女性は、80歳の義父と68歳の義母との同居生活を開始した。近くには、女性の両親の実家があるが、60代の両親は不仲で父親がうつに。老いていく4人と幼い子2人。唯一の世話役の女性の行く末には真っ黒な暗雲が垂れ込めていた――。(前編/全2回) ———- この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。 ———- ■自分優先な親たち 北海道在住の森山吹子さん(仮名・40代・既婚)の両親は、お互い高校卒業後に入社した大手建設コンサル会社で出会った。 父親は設計技師になり、母親は翌年に入社し、地質部で働きはじめる。2人は社内イベントで出会うと、すぐに交際がスタート。母親が20歳のときに父親が働く現場まで押しかけ、プロポーズをして結婚。母親が27歳のときに兄が、28歳のときに森山さんが生まれた。 母親は結婚を機に専業主婦になったが、森山さんが幼稚園に入園した頃に、結婚前まで勤めていた会社の仕事を請け負い、在宅で働き始め、森山さんが中学生になった頃に会社勤務に戻った。 「父は口数が少なく、職人気質です。あまり家族には関心がなく、現役の頃は、週末はゴルフばかり行ってました。母は社交的でPTAや育成委員などをし、気が強くプライドも高くハッキリとした性格で、家庭や子どもより自分優先な人でした」 子どもの頃は、母方の祖父母と同居していた。 「母方の祖父は温厚な人で、町内のためにいろいろな活動をしていました。口数が少なく、怒られた記憶はありません。祖母は母そっくりで、見栄っ張りでプライドが高い人でした。光熱費は両親が払っていたので、祖父母の年金はほぼお小遣いでした。祖母は自分の姉妹としょっちゅう温泉へ行ったりお寿司を振る舞ったりしていましたし、髪は必ず美容院で洗ってもらっていました」 祖母と母はそっくりと言うが、口数が少なく、家庭内よりも外での存在感が大きいという点で、祖父と父親もよく似ている。 森山さんは物心つくと、祖母も母親も兄ばかり大事にしていることに気付いた。洋服は、兄は着たいものを買ってもらえていたが、森山さんは兄のお古ばかり。森山さんが「○○に行きたい」と言えば頭ごなしに反対されるが、兄には「お金は出してあげるから行っておいで」という具合だった。 「兄は幼い頃から偏食がひどく、こだわりがある神経質な子でした。社交的ではないですが、友だちはいましたし、私とも一緒に遊んでくれました。祖母と母がいわば“長男教”なら、父は男尊女卑の気質がありました。『女の子はお嫁に行くから学歴は必要ない』とか、『良い相手を見つけて結婚するのが幸せ』とか言われていました。私は幼い頃から、両親や祖母の扱い方が兄と違うことは感じていましたが、中でも強烈だったのは、幼稚園のころ、兄の真似をして母に甘えたら、私だけ『気持ち悪い』と言われたことです。それから母に甘えたことはありません。母に抱きしめてもらった記憶もないし、遊んでもらったこともありません」 それでも森山さんは、おてんばで元気な子に成長。小学校時代は異年齢の友だちと日が暮れるまで遊び、中学生になると陸上部に入り、部長を務めた。 「昔から母は家事が嫌いで、中学生になってからは母の代わりに私が家事をしていました。母は、『外でアルバイトしたいと言われたら家事をしてもらえなくなるから』と、バイト代として毎月2万円くれました。着道楽で食道楽、高級志向で、父は定時帰りがほとんどでしたが、母はよく飲み歩いていたし、繁忙期は徹夜で帰宅しない日もありました。まるで父親が2人いるみたいでした……」