「警戒心あれば信頼関係は成り立たない」…現役保護司が語る安全確保策の難しさ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

大津市の住宅で保護司の新庄博志さん(60)を殺害した疑いで保護観察対象者の飯塚(いいつか)紘平容疑者(35)が逮捕された事件は、民間の使命感を頼りに世界に先駆けて運用されてきた保護司制度のリスクを浮き彫りにした。法務省は安全確保策を検討する見通しだが、信頼関係を基本とする制度だけに対策は容易ではない。 「保護観察対象者と向き合うときは『立ち直ることができる』と心から信じている。信頼関係を構築するのが何よりも大事」。大阪府内の男性保護司は、自身の役割をこう強調する。 ボランティアによる献身的な活動が地域の治安を支えてきた一方で、保護観察対象者とのトラブルと無縁だったわけではない。 国の検討会の報告書によると、平成22年に茨城県内で保護司の自宅が保護観察対象者によって放火された事件を受け、全国500人の保護司を抽出して調査した結果、自宅で現金を盗まれたり車のタイヤをパンクさせられたりした被害が5件確認された。13~22年の10年間で、保護司が殴られるなどの人的被害が数件あった。 殺害された新庄さんは死亡当日、飯塚容疑者と自宅で面接する予定だった。国が平成31年に実施した別の調査では、73・4%が最も多く面接を行う場所を「自宅」と回答。プライバシー保護の関心が強まる中、自宅を更生の場に供する運用がいまなお続き、リスクにさらされてきた。 ただ、事件を受けた対応には難しさもある。男性保護司によると、対象者の中には虐待を受けた過去があるなど複雑な背景を抱えた人もいるといい、「相手への警戒心が出てしまえば、信頼関係は成り立たない。更生には保護司への絶対的な安心感が必要。本末転倒な対策をとってはならない」と話した。 世界に誇る「HOGOSHI」、海外にも輸出 保護司制度のルーツは130年以上前の明治21(1888)年にさかのぼる。実業家の金原明善(きんぱら・めいぜん)ら篤志家が「静岡県出獄人保護会社」を設立。その後、保護観察を刑事政策に取り込もうとした連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策を経て、少数の保護観察官を大多数の保護司が支える世界にもまれな「官民協働体制」が構築された。 昭和25年には保護司法が制定され、現在の制度の骨格ができあがったとされる。日本独自の制度は海外にも〝輸出〟され、フィリピンやケニアなどが日本をモデルにした制度を導入した。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。