生きるために済州を離れたのに、海が墓場になった…4・3密航の実態

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済州(チェジュ)4・3抗争は済州に住む人々の人生を根こそぎ揺さぶった。生と死の狭間に立たされた済州の人々は死を避けて島を脱出した。両親や兄弟を失い、頼れるところがなく、失意や絶望の日々を送っていた彼らも、島を離れた。命をかけて密航船に身を任せた人たちが訪れたのは日本の大阪だった。日本国内の4・3遺族は確認された数字だけで850人余り。およそ1千人を超えるものと推定される。見知らぬ土地で自らを鍛錬しながら根を下ろした人々は、依然として4・3を胸に抱きしめ故郷に想いを馳せながら、「在日」として生きている。 「済州を発って日本に向かっていた密航船が、日本の対馬近くに来て荒波に遭って破船し、乗客40人余りのうち20人余りが死亡したという悲報が届いた」 4・3抗争当時、済州で発行された「済州新報」(1947年5月24日)は対馬付近で海難事故に遭い、済州道民20人余りが死亡した事実をこのように1段の記事で報じた。「密航船遭難で20人余りが犠牲」という見出しの記事によると、密航船は5月15日に咸徳(ハムドク)浦口を出港し日本に向かう途中、20日頃に対馬近海で暴風に遭い、船が壊れ惨事が起きた。死と貧困の罠から逃れるための旅が、返らぬ旅になった。 以前ハンギョレとのインタビューに応じたHさん(97、東京在住)は、1947年の3・1事件直後、警察を避けて隠れていたが、密航船に乗った。母親がある日の夜、親戚の家に隠れているHさんを訪ねて来た。「私の後について来い。ここにいたら死ぬ。君の兄が日本にいるから、ご飯くらいは食べさせてくれるだろう」。母親は真夜中、息子を咸徳浦口で密航船に乗せた。それが親子の最後だった。Hさんの兄と甥は4・3抗争の時に犠牲になった。Hさんが密航した時期は、対馬付近で密航船が沈没し、約20人の済州島民が死亡した時期に近い。4・3抗争当時、生と死の狭間に立たされた彼らは、子どもの命を守るために財産を処分した両親の手に引かれ、真夜中に小さな船の桟橋に身を任せた。 日本で暮らしていたが、開放前後に韓国に戻った彼らは、再び日本に渡った。社会的混乱の中で経済難が深刻な時だった。米軍政は1945年12月から南海岸の多くの港で密航が頻繁に行われると取り締まりに乗り出し、翌年2月には5トン以上の船舶は全て米軍政に登録するようにしたが、密航を防ぐことはできなかった。 「解放と独立は言葉だけで、希望はおろかどうやって暮らしていけるか漠然としており、食べ物を求めても手に入らず、職業を求めてもままならず、再び祖国を離れ永別した倭国(日本)に戻ろうとする悲劇の現象」(釜山新聞、1946年8月22日付)が後を絶たなかった。「密航で再び日本に渡る同胞が毎日20~30人以上」(朝鮮日報、1946年1月30日付)もいた。 しかし、密航を試みた多くの人々が取り締まりに摘発された。日本政府の発表によると、1946年4月から1947年3月の間に日本に密航して逮捕され、送還された韓国人だけで2万6415人(独立新報、1947年4月24日付)にのぼり、逮捕を免れた数はこれよりはるかに多い。 しかし、生きるための密航は死の道に繋がっていた。密航途中にも溺死者、餓死者が続出し、密航に成功しても取り締まりに摘発され、収容所に閉じ込められた後、コレラなどで死亡した人もいた。朝鮮戦争直前の1950年3月、釜山影島(プサン・ヨンド)を出港した15人が乗った3トンの密航船が日本に向かう途中、対馬付近の海岸で暴風に遭い沈没し、済州道民など4人が死亡、11人が救助された。1953年3月には済州出身のCさん所有の春光号(47トン)が1人当り日本のお金1万6千円を受け取り密航者45人(男15人、女30人)を乗せて釜山港を出港したが、陸軍諜報隊に捕まったことあった。当時、逮捕された人たちの半分は高校生だった。 連合国最高司令官総司令部(GHQ)の文書によると、日本警察は1949年の1年間に日本に到着した密航者数を検挙者6630人、未検挙者2807人とし、密航船は520隻だと集計した。しかし、知られていない密航者の数を含めると、数はこれよりはるかに多いものと推定される。当時、日本の対馬警察の報告書には「韓国内の政治および思想の影響」、「経済的困窮」、「日本に居住する家族および親戚と一緒に暮らすため」、「密輸で金を稼ぐため」などの理由で、韓国人の密航が増えていると分析した。対馬警察はまた、最近韓国内の密航斡旋業者の助けを借りて団体で密航が行われており、密航に1人当り5千~1万円を払っていると報告した。 立命館大学のムン・ギョンス名誉教授は「在日韓国人の中には韓国の国家暴力や戦争の現場を避けてきた人がかなりいた。4・3時期にも済州の人々が死と迫害を避けて日本に渡ってきたが、その数は1万人余りと推定される」と語った。 ホ・ホジュン記者 (お問い合わせ [email protected] )

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