「極刑は野暮」 戒厳令下の阿部定事件 警視庁150年 22/150

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昭和11年5月18日、東京・西尾久の待合で、割烹料理店の男性店主が首を絞められ殺された。事件は注目を集める。ともに出奔した男性を殺害した女中の阿部定=当時(30)=が遺体の下腹部を切り取り、逃走劇を繰り広げたためだ。 警視庁が旅館や待合に徹底的なローラー作戦を敷くと、「『ここで見た。あそこに現れた』と、真偽とりどりの情報」(『警視庁史 昭和前編』)が次々に寄せられた。警視庁は20日の夕方、品川駅近くの旅館で阿部にたどり着いた。 女中から刑事が踏み込んだことを聞いた阿部は「まあ、そう…」とだけ言い、身支度したというが、自殺するつもりだったとみられる。後には動機を「愛する男の身も心も自分のものにしたい」とも記している(11年5月21日付『時事新報』『阿部定手記』)。 東京地裁は阿部に懲役6年の判決を下し、すぐに服役した。 判事の一人、飯守重任は、男女の情交が高じた事件に「極刑は野暮」と訴え、判決評議でこう言ったという。「天井に蓋をしたような今の時局のうっとうしさを突き破ったのがこの事件だ」(『文芸春秋』29年7月号)。阿部の男性殺害は二・二六事件による戒厳令下で起こっていた。 戦後の阿部は料理屋を開くなどしたが、40年代に失跡、最期は判然としない。ただ、事件はさまざまな映画や文学作品として、現代に至るまで人々の心を動かしている。(内田優作)

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