今回取り上げるのはいまから1世紀以上前、第一次世界大戦で日本軍の捕虜となって福岡県の収容所にいたドイツ人将校とその妻の物語。妻が強盗に押し入った男に殺害され、夫が妻の後を追って自殺。妻は当時現職のドイツ海軍大臣の娘だったことから国際問題になりかかった。 日本の世界大戦参戦の陰で起きた夫婦愛の悲劇だが、事件を記述した新聞や関連資料の筆はどこか鈍い。そこには、夫妻を死に追いやったことへの日本人の後ろめたさだけではないものが感じられる。 考えてみれば、明治維新以降、近代化と繁栄の“坂道”を上り続けてきた日本という国家が、坂の一番上に達したのがこの時期だった。続くシベリア出兵あたりから陰りが見え始め、やがて戦争と崩壊の昭和に至る。 そうした視線で見ると、この事件には、そうした“下り坂”の予兆がそこここに見え隠れしていることが分かる。当時の新聞記事はほとんどが文語体だが、適宜口語体に直し、文章を整理。今回も差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。