石原慎太郎氏の経済政策を回顧、ディーゼル規制・リニア等で賛否も成否も分かれる

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89歳で死去した石原慎太郎氏。大物政治家であり作家であり往年のスターの兄でもあり、その政治的な言動や差別発言をめぐって、称賛と批判が渦巻いた。運輸大臣や東京都知事として取り組んだ経済政策もまた、賛否と成否が大きく分かれた。(ダイヤモンド編集部 岡田 悟) ● 「豚小屋と鶏小屋」発言でも リニア新幹線計画に力を入れた 「自主憲法追求した政治家人生」(産経新聞2月2日付朝刊1面)、「石原都政 直言も放言も」(朝日新聞同社会面)――。作家として1956年に芥川賞を受賞し、政治家としては東京都知事を13年務めたほか、環境庁長官や運輸大臣を歴任した石原慎太郎氏が2月1日、89歳で死去した。 1日夜のテレビのニュース番組では、サイドの髪の毛を短く刈り上げた「慎太郎刈り」の若かりし日の様子や、ペットボトルに入ったディーゼル車の排気ガスのすすをまく都知事時代のパフォーマンスなどの映像が繰り返し流された。 タカ派的で奔放な政治姿勢は、政治家や世論から称賛された半面、陸上自衛隊の式典(2000年4月)での「三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している」や、雑誌の対談(2001年11月)での「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァなんだそうだ」といった、人種や性別に関する差別発言が厳しく批判された。12年にぶち上げた沖縄県・尖閣諸島の都による購入計画は、その後の中国公船の領海侵入増加の原因になったと指摘される。 毀誉褒貶(きよほうへん)が相半ばするのは、石原氏が取り組んだ経済政策にも通じる。例えば、現在JR品川駅などで工事が進むリニア中央新幹線。実は、石原氏が運輸大臣時代に力を入れたものだった。 87年、石原氏は宮崎県にあったリニア実験線に試乗。当時の運輸省の予算要求に含まれていなかった、設備の拡充のための予算の追加要求を急きょ発表した。 翌88年には、欧州の実験線と比べ、宮崎県のその規模は「豚小屋と鶏小屋の間を走っているようなもの」と記者会見で揶揄(やゆ)した。

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