【紀州のドン・ファンと元妻 最期の5カ月の真実】#142 「野崎幸助さんの一周忌はいつですか?」 2019年5月になって、マスコミの記者たちから電話が来るようになったのは、5月24日が命日だからである。 「分かりませんよ」 知っていても教える気はなかったので、とぼけることにしていた。 「18日ではないんですか?」 「へえ、そうなの?」 「またまた、とぼけて」 オレはキミから何の世話にもなっていないのに、都合がいい時だけこうやって電話をしてくるのか? とぼけて何が悪い? と言いたかったが5月18日は正解だったので、どこから漏れたのか知りたかった。 「誰から聞いたの?」 「それは言えませんが、どこでやるんですか?」 人に聞いておきながら、こちらの問いかけには答えないのなら、電話をかけてくるなと言いたかった。 ■マスコミ嫌いの早貴被告が設定した1周忌 本来の一周忌は命日の5月24日であるが、マスコミの取材を極端に嫌う早貴被告は1週間前の18日に法要をすることにして、ドン・ファンとは全く縁がない田辺市内のお寺にお願いをしていた。 もともと彼女は何もやりたくなかったのだが、ケジメをつけなければダメだよという周囲の声に逆らうこともできず、いやいや一周忌に来ることになったらしい。 「一周忌が最後で、それ以後は二度と田辺には行きませんから」 早貴被告はマコやんにそのように伝えたという。 私は前年の18年10月に、お手伝いの木下さんを含めて早貴被告と都内で会食をした。それ以降、彼女と会っていない。もともと私から電話をすることはあまりなかったし、彼女からの連絡も少なかった。 前述しているが、その会食で決定的な亀裂が生じたのだと思う。生前のドン・ファンは「自分が死んだ時はお世話になった木下さんに1000万円をあげる」と公言していた。それは私も従業員も皆知っていたが、実際に亡くなった翌日に早貴被告は唐突に木下さんに対して「実は1000万円ではなく、3000万円をあげてくれ、と言われていましたからあげますね」と、私の横でしゃべったのである。木下さんは大喜びだったが、私は「紙に書いてもらわなければ法律的には有効になりませんよ」と木下さんにアドバイスをしていたのだ。会食の場でその履行を早貴被告に迫ったところ、彼女は「弁護士さんに相談しないと……」とか言い繕ったが、さらに私が迫ると「……書きません」と拒絶したのであった。 「いいのよ。そんなこと」 人のいい木下さんは場を和ますように笑顔を見せたが、早貴被告は面白くなかったことだったろう。 私は早貴被告がどこに住んでいるのか全く興味はなかったし、会いたいとも思っていなかったが、マスコミの知人たちは私が密かに彼女と連絡を取っていると勝手に思い込んでいたようだ。 「早貴の近況を記事にしたらどうですか?」 そのように言う知人もいたが、そんな気は全くなく犯人逮捕のXデーを心待ちにしているだけだった。というのも早貴被告と会ったところで彼女が真実を打ち明けるということはしないハズであるから、彼女が暮らしている場所も知らなかったし、興味もなかったというのが実情である。 (つづく) (吉田隆/記者、ジャーナリスト)